あいまいもこ

厄年に怯えるアラサーが、曖昧模糊とした気持ちと本の感想を綴るブログ。

わたしが・棄てた・女/遠藤周作

わたしが・棄てた・女/遠藤周作

わたしが棄てた女



こんにちは、そらまめf:id:tekuteku_michikusa:20170331142439j:plainです。

 

今日は遠藤周作さんの「わたしが・棄てた・女」の感想を書きたいと思います。

 

タイトルがすごいです、“棄てた女”って。

主人公がまるで物を棄てるように、ミツという女性を棄てるんですが、酷い扱いを受けてもミツは主人公を愛し続けます。

 

その後様々な不幸が襲っても、ずっと変わらず純粋に生きるミツ。

そのミツのあまりの純粋さに胸が締め付けられます。

 

 

 

簡単なあらすじ

 

「ぼく」こと吉岡努は独身の学生で、友人の長島繁男と同居している。

戦後の田舎の事情で、親の仕送りもほとんど当てにできず、2人はアルバイトに忙しい毎日を過ごしていた。

 ある日「女の子が欲しい」と思った吉岡は、雑誌の“読者の交歓室”で文通をした「森田ミツ」とデートをする。

そして無垢でお人好しのミツの同情を買い、身体を奪って棄ててしまう。

順調に人生の階段を登っていく吉岡とは対照的に、冷酷な運命に弄ばれてしまうミツ。

ミツの短い生涯が教えてくれる、本物の愛。 

 

今の時代と変わらない男女のやりとり

 

旅館(今でいうラブホ)に主人公の吉岡がミツを連れこむ為に、今の時代と同じようなことを言います。

 

 「…好きだから君の体がほしいんだ。コワくないさ。コワいことなんかなに一つしない」(p42)

そして心の中でこう思います。

要するにこれは、すべての男が愛してもいない女の肉体をとろうとする時、つかう言葉だった。(p42-43)

 

今も変わらず繰り広げられている男女のやりとりですね。

 

「何もしないからラブホ行こう」ってよくあるセリフです。

あと「好きだからしたい」というセリフも。

 

それなら潔く「誰でもいいからやることやりたくて…」って自己申告する方が男らしい気がします。

 

時代は変わっても、男女のやりとりや心情は変わらないのかもしれません。

 

 

遊んだ人と遊ばれた人

 

“遊んだ人”と“遊ばれた人”どちらが幸せなのか、色々と考えさせられる本です。

 

若い頃は“愛するよりも〜愛されたいマジで!!”と思っていました。

棄てられるなら、棄てる方がいい。

 

でもアラサーになり、過去の数少ない恋愛を振り返ったとき、自分が傷つけた人のことは忘れられない(後悔という意味で)です。

 

でも自分を傷つけた人のことって全然思い出しません。

思い出しても勉強になったな〜くらいで感傷的になることはありません。

 

遊んだ人、遊ばれた人、どちらが深い傷を負うのかは時間がたたないとわからないのかも知れません。

 

人間は他人の人生に痕跡を残さずに交わることはできないんだよ。(p150) 

 

ミツの人生に色々と考えさせられました。

恋愛に悩んでいる人に読んで欲しい一冊です。

 

 

わたしが棄てた女 (講談社文庫)

わたしが棄てた女 (講談社文庫)