あいまいもこ

厄年に怯えるアラサーが、曖昧模糊とした気持ちと本の感想を綴るブログ。

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厄年に怯えるアラサーのあいまいもことした気持ち

【続】おばあちゃんが入院して思ったこと。

【続】おばあちゃんが入院して思ったこと。

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こんばんは、そらまめです。

以前こんな記事を書いたのですが、祖母はまだまだ状態が安定しません。

 

www.aimaimokoblog.jp

色々あって緊急オペになってしまい、今もICUにいます。

 完全な自己満足ですが(いつものこと)、私の気持ちを書きたいと思います。

祖母・祖父がいなくなってしまうということ

今までに何人も、周りの人でおじいさま・おばあさまが亡くなってしまった方がいました。

もちろん順番的に、高齢の祖母や祖父が先にいってしまうことは自然なことで、だからこそそういう報告を受けても「可哀想だし、辛いだろうけど順番的には仕方のないこと」だと内心思っていました。

 

私は祖父が10年以上前に他界しているのですが、その頃は私も若く、正直悲しくてたまらないけど、新しく始まる学生生活への期待や、友人とのお喋りや、恋愛やそんなことの方に意識がいっていたように思います。

 

でも今、もし祖母の容体が悪くなったら…そう考えると怖くてたまりません。

 

自分を愛してくれている人がいなくなるかも知れない。

もう会えなくなるかも知れない。

 

そのことがこんなに怖いことだと思っていませんでした。

 

何を見ても考えてしまう

例えば、喫茶店の前を通り過ぎる時、「おばあちゃんともうお茶したりできないかも知れない」そう考えてしまいます。

 

大好きなセコガニを食べる時も、「おばあちゃんも食べたいはずなのに」と考えてしまいます。

 

甘えるなと思われるかも知れません。

もっともっと辛いことや悲しいことがあって、みんな乗り越えて生きているのに、祖母の体調が悪いなんて、年齢的にもしょうがないことだし、自分だけが今辛いみたいに思うな、そう思われるかも知れません。

 

自分でも心のどこかでそう思っています。

 

もっと大事にすればよかった 

私は気が強くて口が悪い、祖母のことがもともと大好きでした。

私が離婚してひどいことを言い合って、会わない日が続いてしまいましたが、それまではイラっとすることがあっても、絶対に大事にしようと心に誓っていました。

 

幼少期、家庭内がごちゃごちゃしていて辛かった時、それでも笑っていられたのは祖母のお陰だと思っていたからです。

 

自分では大事にしているつもりでした。

一緒に旅行に行ったり、敬老の日や誕生日にプレゼントを贈ったり、病院の付き添いをしたり…でももっともっと大事にできたと思います。

 

しなかったのは、心のどこかで、幸せがずっと続くと思っていたから。

ずっと元気でいてくれるのが当たり前だと思っていたから。

 

だって今は平均寿命だってどんどん伸びているし、長生きの家系だし、きっとずっと元気でいてくれると思っていたから。

 

失うことが怖い

もし今祖母がいなくなってしまったら…私はどうしたらいいんだろう。

できることをするしかない。

アホでちゃらんぽらんだけど、子供達や夫や、そんな人たちにできることをして暮らしていくしかない。

 

乗りえるしかない。

 

頭ではわかっていても、できる気がしません。

 

失うことが怖いなんて、恵まれている証拠なんでしょうか。

 

奇跡でもなんでもいいから起こって、祖母が回復して欲しい

そんな気持ちでいっぱいです。